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ウォーキング。

5月に一ヶ月ブエノスアイレスにいた頃は、毎日SUBTE(地下鉄)やコレクティーボ(バス)に乗って、歩いて移動していたので良い運動になっていた。時間のある時はフロリダ通りの端から端までウィンドウショッピングしたり、天気の良い日なんかにはプエルト・マデロのDIQUE・1(第一ドッグ)からDIQUE・4まで歩いたり、時には地図を片手に市内を散策したりした。おかげで毎日お腹いっぱいお肉を食べてもワインを飲んでも太るどころかかえって体は締まってきていた。ところが日本へ帰って来てからは、車の生活!すぐそこまでの買い物にまで帰りの荷物が重いからと乗ってしまう。おまけに体調を崩していたので運動もまったくせず、しかもこの体、具合が悪いにもかかわらず“飼料効率”が良いもんだから、いつのまにか鏡の前に立ちたくないほど太っちゃった。
このままでは、今度の日曜日にある地区の運動会でもケガをしそうだし、一ヵ月後の検診でも体重で引っ掛りそう!マジ、やばい・・・。というわけで、効果があるかどうかわかんないけど、ウォーキングを始めた。願わくば三日坊主にならなければいいが・・・。ただ目的もなく景色に変化もないところを歩いていてもつまらない。広~~~い公園だったら良いかもしれないけど、そんなところをぐるぐる歩くのも芸がない。市内を歩いているとどうしても交差点で立ち止まらなくてはならなくなる。ウォーキングしててタイミング悪く信号に引っ掛るとかえって疲れるもんだ。
puerto
そんなウォーキングの話をしているとブエノスアイレスに良い所がある!という話になった。何十ブロックも信号も交差点もなくずーーーっと歩くことが出来る場所があると・・・。そこはプエルト・マデロの奥のAv.Costanera Dr.A.Rodriguezという大通り。そういわれてみると、この間その場所を通りかかった時、マラソン大会みたいなことをしていたし、ジョギングしている人もよく見かけたなぁ~と思い出した。歩道版が敷きつめられていて障害物が何もないので歩きやすいとのこと。またさらにその奥へ行くと、Parque Natural y Reserva Ecologica Costaneraという埋立地がある。ここは地面が土だがこちらも歩くことが出来るようになっているそうで、昼間は開いていて自由にウォーキングが出来るが、夜は入れないようになっているそうだ。まぁ、周りに何もないようだから私的にはちょっとつまんないかなぁ~。

そういえばこのあたり、昔バラバラ事件があったとかで、横手に見える池に〇〇が入っている袋が水面にプカプカ浮いていたそうだ。オイオイどうにも夜は歩く気にならないぞ・・・(ー_ー)!!。

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博多・長浜ラーメン

nagahama
今、話題(?)の博多・長浜ラーメンが、弘前に来た。
そのお店は、屋台じゃないのだけど、一時的に建物を借りて、アルバイトを募集し、3ヶ月くらいの滞在で、全国をまわっているドサまわりのようなラーメン屋さんである。
アルゼンチンで友人がラーメンを作るんだ!と言ってから初めて知ったこの長浜ラーメン。
話題には上がるもののどんなものか気になっていたので、これ幸いにとさっそく食べに行った。
私は札幌育ちなので、いわゆる札幌ラーメンの味噌ラーメンや醤油ラーメンは食べ慣れているけど、九州のとんこつ白湯(パイタン)スープはまだない。以前長崎に行った時にチャンポン、皿うどんがこの白湯スープで出来ていたので、食べたことはあるが、ラーメンではお初!
raumen
さてさてそのお味だが、スープも細麺も思っていたよりサラッとしてた。食べやすかったが、私はやっぱ、モヤシたっぷりの味噌ラーメンの方が好きだなぁ~なんて密かに思ってしまった。
結果、もう少し濃厚なスープが飲みたかった私としては、アルゼンチンの冷凍していない豚肉で作った友人の白湯スープがどうにも飲みたくなってしまった。まぁ、アルゼンチンまではちょっと無理でも今度は本場博多で!と店の中に書かれてる「またきてくんしゃいね~」の文字に心動かされていた。

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カミノ・ミステリオ

カリブ海にある ドミニカ共和国 のプンタ・カーナ (PUNTA CANA)に面白いところがあるそうだ。
地面にボールを置くと、あ~ら不思議、傾斜地を上に登って転がっていくそうな・・・。
車のギアをニュートラルにしたら、これまた思いに反して上へ上へ・・・。
こんな話は以前にも聞いたことがあって、目の錯覚のなせる業なのだが、どう見ても登り坂にしか見えないわけだから、まったくもって不思議な話である。
良く不良住宅で、当然水平でなければならない床の上にゴルフボールを置くと、部屋の隅に転がっていくというのはあるけれど、これとはまったく違う話(笑)!
さてさて、この不思議な坂道(?)がアルゼンチンのタンディルというところにもあるそうだ。
しかし、ある人はとても“大げさに”、ある人は“ささやかに”言うので、その真偽の程は???なのだが、確かにそういう地名の場所はあるらしく、どうやらその不思議な道(カミノ・ミステリオ)は存在するようだ。
ところで、アルゼンチンのコルドバにはそういう不思議体験を経験できるアミューズメントがあるとのこと。こちらは人工的に作られた所だそうだが、行ったことのある友人は「すごく面白いところだったよ」と言っていた。
自然に出来たそんなミステリアスな場所、イグアスの滝や氷河とかのメジャーな観光地ではないけど、ちょっと気になるチェックポイントであることには間違いない。行ってみたことがある人はどんなところだったか教えてねぇ~。

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HA☆NA☆BI

hanabi
二日ほど前、近くに流れる平川の河川敷にて、毎年恒例の花火大会が行なわれた。
花火大会の会場までは行かなくても、わが家から1分も歩けば、大輪の花火が良く見える!
のはずだったのだが、今年はあいにくの天気、曇り空のため、はっきりと見えないのが少し残念!
それでも、雲でところどころ欠けて見える夜空に咲く色とりどりの大きな花火は、相変わらずとても綺麗!
それと少し遅れて聞こえてくる大きな音が、今年ももう夏が終わりだよ~と言っているようだった。
夏のいろんな行事もほぼ終わり、今週から子供達も学校が始まる。
上の娘も東京に戻るのでわが家でも、友達をたくさん集めて庭で花火をした。
今風なものもあるが、おとなも子どもも人気なのが線香花火!!!
いかに落とさずに最後まで持っていられるか。。。チリチリチリチリ。。。
アルゼンチンのクリスマス(ナビダ)や年越し(フィエスタ)の花火は街中のあちらこちらから立ち上がり鳴り響く!
高層マンションのベランダから見ると見渡す限り上がる花火に、それはもう感動ものである。
夜空を見上げる花火、線香花火のように見つめる花火(?)、アルゼンチンのように見下ろす花火、どれも最高!

ところで、なぜか今年はついてないことが多々あり、“当たり年”だということで、かねてより皆に“宝くじ”でも買ってみたらと、言われていた。宝くじなんて今までにほとんど買ったことがないけど、どこまで“当たる!?”のかと『サマージャンボ宝くじ』を買ってみた。こちらも先日発表の日を過ぎたので見てみたら、3000円(と300円)が当たってた!今まで、300円(10枚買えば必ず当たる)しか当たったことがない私にとって、元を越すなんて、これはもう大当たり。どうやら運が良いのも悪いのも関係なく当たり年のようだ。

昼間は湿度も高く、まだまだ残暑がきびしいが、夜になると秋の虫が鳴いている。
あ~あ~そろそろ大好きな夏も、ぬき足、さし足、忍び足で行ってしまうのかぁ~・・・。

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お国柄。

post
弘前のキャッチフレーズは『桜とお城とりんごの街』。
市役所の前のポストの上には真っ赤なりんごが・・・!!!
他に、市内の某所にて、りんごの形をした真っ赤な、カーブミラーも発見!
また、弘前は雪国なので、公衆電話BOXが冬場、雪に埋もれないようにと階段が3段くらいあって、少し土台が高くなっている。そういえば広島に行った時、BOX内に扇風機があった!(扇風機がないと入ってられないくらい暑くなるという事か・・・?)
お国柄で地方に行くとまた違った面白い発見があるかもしれないなぁ~。

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義弟よ!安らかに・・・。

今年はいったい、どうしたことか、厄年か、大殺界か・・・。
義弟が亡くなってしまった。ずっと病気がちだったのだが、容態が急変して死んでしまった。
亡くなったのがお盆の寸前だったので、通夜、葬儀はあっという間に済ませなければならなかった。
6人兄弟姉妹の一番末っ子の弟。長男の主人は喪主となった。
喪主の挨拶で「・・・もしここに弟がいたなら一言、言ってやりたい・・・。順番は守れよと・・・。」
田舎には母が一人残されてしまった。

地方によって葬儀の手順は違う。
友引の日に葬儀はできないため、亡くなった日によってはお通夜を2晩に渡ってすることもある。
1日目は仮通夜で近親者のみ。2日目が本通夜というふうに・・・。
父が亡くなった時は北海道だったので、まず仮通夜、本通夜、次の日にお葬式、出棺、火葬であった。
わたしが住むここは、順番が逆で、24時間置いてまず火葬してしまう。次の日通夜、その次の日お葬式である。
法律で亡くなってから24時間後でないと火葬は出来ないので、北海道の場合、日程に問題は出ないが、ここでは全部終わったら次の日が初七日なんてこともありうる。ただ、たいがいの場合、葬儀のあと忌明け法要を行なっっちゃうけど・・。

そんな話をしていると、本当に場所によって違うのねと友人が言った。
「アルゼンチンでは12~36時間の間に埋葬か火葬するので、比較的早く終わります。
日本の葬儀がそんなに長くかかるとは思わなかったわ。」と言っていた。
夜に亡くなったら、翌日の夜のお通夜になるが、早い時間に亡くなったとしても、その晩にお通夜をしてしまうので、その翌朝とか午後に埋葬してしまうとのこと。
またその殆どが土葬で、火葬はブエノスアイレスでも少なく、地方だと、火葬場はあまりないとのことだった。
この間チャカリータの墓地に行ったとき、亡くなって埋葬(土葬)されて3~5年置き、その後掘り起こして焼くんだよと聞かされた。私は火葬したほうが、衛生的にも良いかも知れないというのもあるが、それよりなにより骨になってしまったのを見た時、もう二度と帰ってこないのだということへの“諦め”がつくのではないかと思っている。

義弟よ!安らかに・・・。

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原爆が投下された日。

8月6日の広島、9日の長崎は、今年被爆60年の『原爆の日』となる。
この先、私を含めて戦争を知らない世代がどんどん増えていくが、忘れてはいけない歴史の一つである。
実際に経験はしていない者は、その悲惨さや怖さは想像の域を出ず、計り知れないが、語り継がれていかなければならない。
私はかつて、広島の原爆ドームへも、長崎の平和記念公園へも行ったことがある。
広島へ行ったとき、原爆ドームはもちろんの事、花束や千羽鶴の絶えない記念碑、毎年式典の行なわれる公園を歩き、そして原爆資料館に入ってきた。その時一緒に行った母は戦争を体験した世代。母は「資料館へは以前入ったことがある。もう二度と入れない。悲惨すぎて、涙が止まらなくなるから・・・。」と一人外で待っていた。
心に焼きつくような光景とはまさにこのことだと思うほどの資料の数々。あれからもう十何年も経っているのに、もしこの次また行くことがあっても、私も入れないかもしれない、涙が止まらなくなってしまって・・・そう思った。
長崎へ行った時はここが“爆心地”というところに立った。跡形もなく消えた瞬間、そこに影が残り、原爆の凄さを物語っていた。何十年も経っているのに、そこにいると、被爆してしまいそうな錯覚に陥る。
公園へいくと記念碑のところに、今でも覚えている、ある少女のこんな言葉が刻まれていた。
『のどが乾いてたまりませんでした。
水にはあぶらのようなものが一面に浮いていました。
どうしても水が欲しくて、とうとうあぶらの浮いたまま飲みました』
涙が出た。

ブエノスアイレスに住む友人はご両親が広島出身の二世。原爆については、この時期、人一倍の関心事である。こんなエピソードを送ってきてくれた。(以下要約)
『15年前、私は広島の平和記念式典にどうしても参加したくて朝8時頃向いました。その日は帽子を持って行かず、日差しの強さと暑さが堪えたことを今でも覚えています。両親は二人とも広島県出身ですが、当時、原爆の被害を受けた親戚がいました。伯父は、鉄道勤務中に、ちょうどその時、線路に支障がでたとかで、ホームから線路へ下りて、しゃがんだ瞬間、原爆が爆破したそうです。光、そして音にビックリして立ち上がってみたら、ホームなどに立っていた人たちは皆、黒焦げになっていたそうです。しかも、幸い、爆心地の風上にいた為、原爆の毒ガスは反対側に流され、彼は奇跡的に助かり、被爆手帳は持っていますが今も健在です。
しかし、運命の悪戯と言うか、また他の叔父は当時1歳だった為、もっと影響を受けたのか、私が式典に参加した翌年に、48歳と言う若さで「原因不明」の病気になり、亡くなってしまいました。彼もまた原爆の被害者だとしか考えられません。
両親が広島出身で、殆どの親戚が広島に住んでいます。原爆が投下された日、私にとって「関係ない」とは思えないです。広島や長崎の原爆博物館へも行きましたが、すごく残酷でした。』

日本人は第二次世界大戦後、わが国の姿勢、戦争の原因や各国に対してなど、それぞれいろんな思いがあっただろうと思う。それは戦争を知らない世代の人間も同じで、学校や家庭、マスコミなどの情報社会の中、人々は多くの影響を受け、戦争に対しての嫌悪感は誰もが持っている。
怒り、嫌悪感、それは戦争をした当事国に対してではなく、“戦争”というそのものに対して。

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語学のおもしろさ。

今年のねぷた祭りも終わった。
弘前に住むものにとっては「夏が終わった~!」という燃焼感のような思いがある。総勢74台、7日間の延べ台数はおよそ300台のねぷたの山車が出て津軽の夜を練り歩いた。県内外からの観光客、最終日には北九州から・・・という人もいた。期間中バイトをしていた私は、あきるほど見ることが出来、いまだに笛や太鼓のお囃子が耳に残っている。一緒に仕事した仲間の中に、中国国籍の女性がいた。私にとってまたまた縁ができたわけである。彼女は日本へは大学留学がきっかけで、こちらへ来て5年になるという。日本語がぺらぺらで、韓国語も話すので、現在は観光関係の仕事をしているが、翻訳や、通訳、講師などもしているとのこと。中国にご主人と8歳になるお子さんを残し、彼女は単身日本に滞在しているらしい。彼女の言うには結婚当初から、それぞれのやりたいことを尊重し、生活しているという。長距離恋愛ならず、長距離単身赴任?「たった一度の人生、好奇心を忘れず、何でも挑戦してみたい」と考えているようだった。せっかく彼女と知り合ったので、バイト終了後「お疲れさ~ん!」と二人で、打ち上げをし、中国語を少し教えてもらった。私の中国語なんて、「ニィ~ハオ」とか「シェイシェィ」くらいで、あとはマージャンで覚えた数字くらいなもん「イーリャンサンスー・・・」。話を聞いていて面白かった。中国語のアクセントには4種類あって同じ音でもそのアクセントによって意味が違ってくる(ここまでは私も知っていた)。そのアクセント、音の高さが変わらない一声、語尾の音が右上がりの二声、下がって上がる三声、右下がりの四声だそう。その他に、ある一定の条件のもと短く音を出す軽声というのもあるそうだ。ここまで聞いているだけでもますます面白くなってきた。「私の名前はOOです。」はどう言うの?と質問したところ、「我的名字叫OO」音としては〔wo de ming zi jiao OO〕で、これに先程のアクセントをつけて発音するのだと教えてくれた・・・。話しているとあっという間に時間が過ぎてしまった。
語学に関しては学生時代に英語をやってたくらいだが、最近はスペイン語とかドイツ語とかいろんな国の言葉に触れる機会が多い。その中でまた中国語にさわりだけでも触れて、語学って面白いなぁ~ってつくづく思った。かといって興味があっても、おぼえられるわけでもないのだけど、たくさんの国の言葉が話せたらどんなに楽しいだろうなぁ~とは思う。
また、帰り際、最近の中国の反日感情について口にすると、「それはマスコミが作り上げているだけだよ。そういう感情はほんの一部のもので、それを大きく取り上げるからそう思ってしまうだけ。中国人のほとんどは反日感情なんてもっていないよ!」と言っていた。海外危険情報を見て、判断することも大事だが、南米の危険性に関してもその地域によって大きな差があるし、当地の人の話、情報も大きな「ころばぬ先の杖」になる。

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お祭り大好き。

amanogawa
弘前ねぷた祭り3日目は雨の予報をケチラシ、55台の山車が城下町を練り歩いた。
その山車の台座の部分には、どの山車にも『雲漢』と言う文字が書かれている。
祭りが始まる日が旧暦の七夕にあたるそうで、これは『天の川』を意味するのだそうだ。

ねぷた祭り期間中、毎日湿度満点状態で今にも泣き出しそうな空模様にもかかわらず、連日30℃を越す天気。今日もどうやら35℃くらいまで上がりそうだが、今朝のTVによると、やっと東北北部も梅雨があけたそうだ。
これで、同じ高温でも少しはカラッとしてくれるだろうか・・。
暑いのが大好きな私、気温が上がるのは一向に構わないのだが湿度が高いのは勘弁してくれ~といいたい。
以前、京都に遊びに行った時、その年は全国的に暑い年で、到着するなり5日間連続で39℃台の気温だった。
でも湿度が低かったのでカッ!とした感じで、さほど苦痛ではなかった。それでもお風呂に入っているのと同じくらいの気温なのだから、長く外にいるわけにもいかなかった事は確かである。
アルゼンチン風に体感温度でいうと、40℃近い京都より、湿度満点の30℃前後の弘前の方が温度が高く感じ、辛い。
かつて1月にアルゼンチン北部(サルタ・フフイ・トゥクマン)に行った時、みんなから「あの地方は雨季で50度になるから体に気をつけて・・・」と言われ、覚悟していった記憶がある。実際には、たまたまその年は干ばつでカラッとしてて、しかも気温も35℃前後で、観光するには最高の条件だった。

ところで、弘前では1日からねぷた祭りが始まっていたが、このアルゼンチン北部でもお祭りが行なわれているらしい。アルゼンチンではこの8月1日は『パチャママの日』だそうで、パチャママのお祭りが始まるとのこと。“パチャママ”とはケチュア語で[パチャ=大地、ママ=母]。易訳するとさしずめ“母なる大地かな?インカ帝国からの伝統で、ペルー、ボリビアとアルゼンチン北西部のアンデス山脈地域のものなのだそうだ。お祭りについては、いろいろな解説があるそうだが、多くは大地に感謝して、“病気させないで下さい。幸運に恵まれるようにして下さい。(無病息災)”と願うようみたい・・・。

東西南北に広いアルゼンチン。日本でもそうだが地方によって様々なお祭りがある。
エントレリオ州のグアレグアイチュウのカーニバル、メンドーサ州の収穫祭、ラプラタの盆踊り・・・・知っているだけでも次々思い浮かんでくる・・・。根がお祭り人間なので、祭り!と聞けば飛んでいきたいが、いかんせん遠い・・。
遥かに大昔、パチャママはつながっていただろうに・・・。
ナンチャッテ!まぁ空がつながってるから良いかぁ~!

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弘前ねぷたまつり。その2

miokuri
青森県の夏祭りにはいろいろある。大きなところでは八戸市の「三社大祭」、五所川原市の「立祢武多(たちねぶた)」、そして青森市の「ねぶた祭り」と弘前市の「ねぷた祭り」である。
青森市の「ねぶた祭り」は全国的にも知られていて、「ラッセラー・ラッセラー」とハネトが踊りながら進む【動のまつり】。そのなかなか激しい踊りで腰につけたたくさんの鈴は踊り終わる頃には全部なくなっているほどとか・・・。また山車は大型の人形型なのがあまりにも有名。それに対し、弘前市の「ねぷた祭り」はお囃子と掛け声「ヤーヤードー」に合わせて山車につながれた綱をたくさんの人たちで引っ張って練り歩く【静のまつり】である。山車は武者絵が描かれている鏡絵(前)と幽玄な見送り絵(うしろ)が対照的に描かれている大型の扇ねぷたがほとんどだが、中には青森市の人形型のようなものもある(組ねぷたという)。
ningyou
ただ、青森の組みねぶたが台座の上に直接人形を乗せているのに対し、弘前の組ねぷた(人形)は、伝統的な、造り方になっている。一番下の部分は四面になっていて、その上の、“袴”(広がっている部分)には津軽藩主の家紋の牡丹の絵が描かれている。そして、その上に人形を乗せていて後方には扇形と同じく見送り絵が描かれている。
青森市では“NEBUTA”と呼ばれ、弘前市は“NEPUTA”。おそらく語源の違いからなのだろうが、弘前では、眠たいことを「ねぷてぇ~」というので案外そんなところから「ねぷた祭り」と、濁らないのかも・・・。

ちなみに弘前のねぷたは、昭和55年(1980年)1月、【重要無形民族文化財】に指定され、そのお囃子は【残したい日本の音風景、百選】に選ばれたそうだ。

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弘前ねぷたまつり。

maturi
津軽の夏を彩る弘前ねぷたまつりが、開催の火蓋をきった。
初日の8月1日、日中は気温計が35℃をさし湿度満点の天気だった。
ところが5時半を過ぎる頃から夕立が降り、開幕の30分前にはなんと、どしゃ降りの天気となってしまった。
それでも出陣の時間になると小降りになり、しばらくするとあれほど降っていた雨は止んでしまった。祭りは決行!
アクシデントがあったものの、真夏の夜の饗宴がはじまった。
『弘前ねぷた祭り』は三国志や水滸伝などの武者絵を題材とした“ねぷた”が城下町弘前を練り歩く夏祭り。
1日2日は審査があるので、70数台ある山車はどこも力はいったお囃子と掛け声で盛り上がりも頂点だろう。
oodaiko
ねぷたまつりの由来はいろいろあるそうだが、「眠り流し」という農民行事説が定説だそうだ(「眠り流し」とは農作業の忙しい夏季に襲ってくる“睡魔”という目には見えない魔物を追い払いための行事)。
また、“ねぷた”の語源は「眠り流し」→「ねむた流し」→「ねむた」→「ねぷた」となったのではないかと言われている。これから期間中の7日まで、弘前中が暑く!熱く!盛り上がる。

ところで8月1日はアルゼンチンでは『カニャ・コン・ルーダ』を飲む日。
RUDAという匂いが臭い(薬草のようなものだとか)植物(?)をお酒に入れて飲むのだそうで、1年中病気をしないようにとか、悪いことを追い出す、追い払うという意味が込められているみたい。
毎月29日は『ニョッキの日』(食べる前にお皿の下にお金を置いて食べると幸運を呼ぶらしい・・)で、ニョッキを食べる日というのがあるけれど、こちらは一年に一回の『カニャ・コン・ルーダ』を飲む日、薬草酒のようにまずーーーい(?)のでチョビットだけ飲むのだそうです。
どこの国でも、祭りや習慣は、なにかしらの意味があり、それらは作物の豊作や無病息災を願ったものだったり・・・。
悪いものはドンドン追い払っていって欲しい今日この頃の私である。

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