ニュアンスの違い。
小さな子や赤ちゃんに、津軽弁で「丈夫な子だねぇ~」といえば、「なんて健康そうに太っていて、栄養満点なんでしょう~!」というほめ言葉になる。“丈夫”という言葉は「体が丈夫=太っている」なんだが、大人の人に「丈夫になったんじゃない?」と言えば、津軽の人は「体は弱くないですよ~」なんてボケる人はいない。「エッ?太った?」ってリアクションになる。人に「あんた太ったんじゃない?」と言われれば気分が悪いけど、「あんた丈夫になったね~」と言われるなら、その意味がわかっててもそう嫌な気分にはならないのが不思議。お得な方言である。ただ、太めな人間にとっては悪い意味合いではないとわかってても、言われたくないけど・・・。
ときにスペイン語(アルゼンチン語)は一つの言葉でも複数の意味があるので感覚の違いで受け取るニュアンスも変わってくる。一番わかりやすい言葉でVIEJOなどは“古い”とか“年寄り”、“おじいちゃん”と言う感じだけど、アルゼンチンの人にすると、あながちそれだけとも限らないらしい。もちろんそういう意味もあるけど、友達などと話してて「うちのVIEJO がね~」といえば「うちのオヤジがね~」と言った感じで、単に自分の父親や母親をVIEJO VIEJA(オヤジ!おふくろ!)と親しみこめて言う言葉なんだそうだ。日本人だとそうは聞いていてもどうしても「ジジイ」と言うイメージがあって「なんて失礼なー」と思ってしまうが私などはイメージを言うならば「セニョーラ」とも言われたくない(では「セニョリータ」かなんて言ったらアツカマシスギだな(笑))。
そういう言葉の感覚的なニュアンスは津軽弁にしてもカステジャーノにしても、その土地に生まれ育った人にはわかるけど後から住んだ人間には、なかなか理解するのはむずかしい。まして説明されてわかるものでもない。頭ではわかってても、日本人的感覚だったらVIEJAと言われれば「ババァ~?」ってカチンと来るだろう。(悪気はないとわかっててもね!)
一つの単語に何通りもの意味合いが含まれているカステジャーノ、友達は日本の婉曲表現と同じだと言うけど、なるほど日本語にも確かにそういうのがあったな~と考える!下手するとイヤミとかヒニクとかあるもんな。じゃあカステジャーノだったら語彙も少ないし意味もいろいろあるのでそれが「“悪意”なのか“善意”なのかわからないね!」と言ったら、「発音の仕方でなんとなくわかるようになるよ」とのこと。(それが理解できるようになったら究極だな!)
こういう言葉の持つ意味・ニュアンスの違いは日本人とその国の人の感覚的違いで、長く住んでいると自然となんとなくわかるようになるのだそうだが、やはり理解出来るところと、どうしても出来ないところとがありそうだ。まぁ、それも人によって、言葉によってなんだろうけど・・・。
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