« 2007年8月 | トップページ | 2007年12月 »

鈍感力と集団的強迫

ひと頃、『鈍感力』という言葉が流行った。
人生、鈍感力の強い方が楽に生きて行けると思う。
傷ついてもすぐに立ち直れるし、いろいろなことを言われてもすぐに忘れられる…。羨

良く言えば、気が利く人、感受性の強い人、空気を読んじゃう人は何にでも反応しちゃって、ストレスも持ちやすいし、疲れやすいし、こわれやすい。
言い換えて…チョットした事でも気になる人、人の目が気になる人、敏感な人は、他人からねたまれたり、ちょっと攻撃されたりするとすぐに落ち込んでしまう。

でも鈍感力があれば、そんなの気にせず平気でいられる。仕事でも完全無欠にやろうとするからストレスが増えるのだ。

特に日本では、違った側面からもその鈍感力が必要だと感じる。日本人は、周りの人の事を考えて行動したり、相手の気持ちを考えて、時には話し方や言い方などに気を配り、人を傷つけないように、まわりくどく話す。また、あとさきも考えて行動したり、周りに合わせて行動する。それは一部分ではある意味、人目を気にした行動。

もちろん、それらの親切心や、空気を読んだ行動や奥ゆかしさ、心からにじみ出るのは、日本の文化の良いところだけど、周りの目を気にしないで、人と違うことをしたり、常識的じゃないことをするとたちまち中傷、ねたみ、イヤミの嵐。

たとえば、人の価値観なんかそれぞれなのに、子ども置いて旅行なんか良く行くね~とか、旦那様は働いてるのに自分だけ遊んで~とか、スーパーの惣菜ばっかり食べさせるの良くないよ~とか、大きなお世話!ましてずるいことを言ったり、したリしようものなら、なに言われるかわからないしひょっとしたら非難轟々?ま~ず人の事はよく見てる!

うちの田舎のお祖母ちゃんなんか、具合が悪くて熱があるのに
「畑に行かなきゃ~」という。何で行くのかと問うと
「隣のバアサンが窓から見てて、“サボってる”と村中に言いふらす」というのだ。
“お日様が昇ったのに、仕事もしないで怠けている”というレッテルが貼られるという。それならまるで集団的強迫をうけてるようなもの。これは田舎の極端な話だけど、そういうことを集団的強迫と感じ、神経質で鈍感力の乏しい私にとっては、ここはチョット住みにくいところである。

アルゼンチンの負の部分である“時間を守らない”とか、“自分勝手”とか、“自己中心的”とかいうのは、悪く言えば人のコトはどうでも良いということになるが、これは良く言えば「人は人、自分は自分」と考えられる。
また、何事もいい加減なところがある彼の国だが、言い換えれば“融通が効く”ともいえる。
法治国家である以上、法に触れるようなことはしてはいけないけれど、物事をはっきり言うことだとか、自己主張を強くするとか、人と違うことをしても目立たないとか、そういう部分は私にとってはプラスの部分である。

アルゼンチンの友達などは「KE-KOはズルイ人間だから、日本にはそのズルサを発揮できるところが無い。アルゼンチンではあるからね。そんなことしても誰も何も言わないもの。」…たしかに…。

そっかぁ~。今までは息苦しさを感じつつも、世の中こんなもんなんだと思ってた私だけど、だからこそ、アルゼンチンにはまり、漂ってるのが楽なのかもしれない。ただ、所詮わたしも日本人、外から見たものと実際に住んでみるとでは、感じ方、馴染み方も大きく違うとは思うけど…。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

« 2007年8月 | トップページ | 2007年12月 »